笛吹きたち会員

第40回青山フルートインスティテュート発表会


「よんじゅう」

副読本原稿


靑山フルートインスティテュート40周年のコンサートに寄せて
石原 利矩

 この世の中には良いことと悪いことが半々にあるという。若いときは良いことが沢山見え、逆に歳を取るほどに悪いことが沢山見えてくる。
 神様はこんな人間を哀れんで年寄りは悪いものから遠ざけてやろうという配慮をしてくれた。歳を取ると物忘れがひどくなる。目が見えなくなる。耳が遠くなる。
 悪いことは忘れたい。見にくいものは見たくない。悪口は聞きたくない。なんと慈悲深いおぼし召しであろうか。
 神に逆らって40年前を思い出そうとした。音楽大学を卒業してNHK交響楽団に入ってすぐにウイーン留学に出かけ、1年半後に帰国しN響に戻りぼつぼつレッスンなどを始め人生がバラ色に見えていた頃だった。しかし、神には逆らえない。思い出そうとしても漠然としていて明確に言うことができない。
 そこで1971年の手帳を取り出して9月17日を開いてみた。金曜日、15時から16時30分までカルテットの練習。18時30分からオペラ『トゥーランドット』4回目の本番となっている。カルテットと言っても何のカルテットか思い出せない。この時期NHKが招聘したイタリアオペラが行われた。8月11日より31日までその練習、9月1日から23日まで本番『ノルマ』(4回)、『トゥーランドット』(5回)、『リゴレット』(5回)、『ファヴォリータ』(5回)が行われた。  
 その年の9月26日(日)に第1回の発表会が12時から17時まで貿易センタービルで行われたのである。まだ「笛吹きたち」という名前が付けられていなかったので「アンファン・ドゥ・ミューズ」などというしゃれた名称で行われた。この頃は今よりずっと働き者であったようで一日の内に20名近くのお弟子さんの名前が書かれている日もある。当時は30分レッスンだったからそれも可能だったようだ。それにしてもオーケストラの練習、本番以外の空いている日はレッスンで埋め尽くされている。
 文集「笛吹きたち」第1号は翌年の4月に発刊された。この年、秋に N響のヨーロッパ旅行が40日間あったので発表会は行われていない。その後、毎年発表会が行われたので今年が40回目、「笛吹きたち」の号数と同じになった。
 短くて永く、永くて短い人生。楽しい思い出はその人の宝物である。それと同じくらい苦しいことがあるなら、そっちの方は忘れっぽくなるように神様にお願いしよう。
 今年の皆様の演奏が楽しい思い出になることを祈って・・・


01 河野 洋子

02 DH
ゴーベールとの数年         
ここ数年、ゴーベール(1879年-1941年)の魅力にはまり、発表会に彼の作品を演奏させていただいています。これは、いつか「ゴーベールの夕べ」と題したコンサートを開くことを密かに目論んでいるからです。今回は、はじめてのチェロ、ピアノとの三重奏ですが、これもそのプログラムに組み込まれています。
「...の夕べ」にご賛同される方、また、ご参加されたい方、是非、お声をおかけください。

03 高橋 雅博
私が公務員を辞めてフルートで食べていこうとしたのが42才のときでした。
そのきっかけは前年のクーラウ詣りでのトーケ先生との出会いだったのですが、この副読本のテーマである「よんじゅう」ということで考えると、私の40才台は疾風怒涛のときだったと言えます。
私が13才のときに父親が42才で亡くなったことも、自分がその年齢になってみてはたしてこの人生でいいのかと考える要因になったのでしょう。

いずれ人は死ぬのですが、そのときに面白い人生だったなぁと思える生き方を選択しようと思ったのでした。
結果としていろいろなものを失いましたが、それ以上に得たもののほうが大きいような気がします。まだ人生半ばですが、もっと面白いことがいっぱいの生き方がしたいですね。

04 熊澤 弥緒
「40日」
青山フルートインスティテュートの発表会伴奏合わせ1回目。
ちょうど私の左足小指を骨折してから40日目になります。
8月のステージ3回は裸足で上がってました。
次なるステージ4回目、9月17日までにはヒールがはけるようにリハビリ頑張ります。

05 米山 典子
1年+1年+1年+1年+1年+…続いて40年。掛け算ではなく積み重ね続けることでしか到達できないのが年月。AFI40年のうち、私が真面目に参加したのは残念ながらほんの僅か。それでも、師匠やメンバーが遠くに時には近くにいてくれたことが、私の笛生活にどれだけ大きかったことか なかなか「良い子」になれない弟子ですが、また1年+1年…年月をご一緒させてください。お楽しみの集まりも練習も、これからさらに「よんじゅう」くらい積み重ねられますように。

06 藤崎 孝美
数年前から、よんじゅう前後の年齢アラウンドフォーティの人を、略してアラフォーという呼び方が流行っている。私を含むビミョーな年齢の主に女性たちから「よんじゅう前後なんて現実的のに比べて、なんだか素敵な響き!」と一躍支持を集めた。
そう、フルートの音色も「響き」は大変重要である。
しかし、何でも略せばいいってものでもなく、指が転んで音が抜けたりしてはいけないし、すみずみまで丁寧な表現が音楽に豊かさを与えるのであーる。
流行りものに影響されてか、響きに憧れつつもいろんなところが略され抜けたまま、アラフォーから次の世代に突入…Oh!

07 坂本 園子
祝・40周年記念コンサートの開催、おめでとうございます。
記念すべき周年の発表会に出演できて、フルートが吹ける幸せに感謝します。
私は、「笛吹きたち」になって未だ1年とちょっとのひよっ子?ですが、「石の上賞」
を目指してこれからも練習に励みたいと思います。
師匠、これからもどうぞ宜しく御願い致します。

08 坂井 直子
生まれた子が、40歳の立派な大人になるのですから、40年は長い長い年月です。その40年の輪の中に入れていただいて、2年目。「お弟子さん第一号から数えて、私は何人目なのかしら?」と、ふと思いました。弟子と呼ばれるのには、まだまだ申し訳なくなるようなひよっこですが、目指すは「石の上賞」です。目標実現のためにも、何としても50周年を実現させて頂きたいと願っています。

09 岸 朋子
外苑ビルの階段をおそるおそる昇ったあの日から35年が経ちました。『厳しく優しく…』ご指導いただき、今、たくさんの笛仲間に囲まれて楽しく笛を吹いていられる事はかけがえのない財産だと思っております。青山の50周年の時、私が幾つになっているのか、あまり考えたくありませんが、少し成長??した私で参加したいと思っております。

10 伊藤 敬子
「よんじゅ」とはどういう意味なのか?私の中の言葉にない文字にはたと考えた。
なんと四十周年のことですね。
笛ふきたち40を読んで 最初から投稿している人が何人もいて、一筋縄ではない人達と悟った。
私はその1/5にみたないのにうろついている。先生のだめだしの一人で まだまだ初歩の段階で前進しないのです。(家での練習は自分なりのあまえで終息しているのに。。。)
皆さんのフルートに打ちこむ姿にただ感服するしだいです。
(姿、かたちではなく 努力のない私に叱咤された思いです。)

12 佐保田 理恵
よんじゅう→四十→しじゅう→始終?→40→!
頭の中をグルグルと数字が廻ってる。
四十周年という記念すべき発表会。
40年という長い歩みを「笛吹きたち40」で垣間見る事ができた。
先生の門を叩いて早1年と数ヶ月が過ぎ2回目の発表会。
銀座のヤマハホールと聞いて、ますます「これは、やばいぞ!」という気持ち。昨年 の悲惨な演奏の記憶が蘇った。
それはさておき、40年の歴史を経たお弟子さんや、素晴らしい演奏に出会えること はとても幸せ。

14 鮎澤 理恵
もうすぐ40歳。30代は結婚、出産、家を新築など、いろいろな事が目まぐるしく過ぎていった。
40歳を目の前にして最近思うことは、毎日家事に、仕事に、言うことをきかない子供達の世話に追われ、あ~あ、どこか海外にでも行きたいな…と思ってみたり、フルートのエチュードを練習し、カンペキではないけど、まあいいかとあきらめ、月一度青山のレッスン室に通う。こんな日々を送っている私である…。が、自分も家族も健康で何不自由なく平々凡々ではあるが生活できていることがどれだけ幸せな事なのかと感じさせられる。また何より、音楽という物の素晴らしさに出会え、演奏できることが幸せ!40代はどんなだろうか?壁にぶち当たる事もあると思うけど、その先には必ず得る物があるはず。頑張れる自分は幸せなんだと、自分を励ましていきたい。

16 上野 深雪
「よんじゅう→しじゅうそう」     
私は,沼津フルートアンサンブルに所属しています.最近四重奏が素敵だなと思って います.6月の発表会では八木澤教司作曲「コロラトゥーラ」を演奏しました.とて もいい曲です.次は定番のボザ「夏山の一日」に挑戦しています.他に,デュボアと かベルソミューの「アルカディー」とかやりたい曲はたくさん.フルート始めてよん じゅういち年,でもまだまだ難しいです.

17 町田 幸子

18 亀井 周二
四十という数字は、聖書では特別な意味がある。旧約のノアの洪水は四十日四十夜続いた、とある。イスラエルの民はモーセに導かれ、出エジプトしてから約束の地カナンに入るまで、四十年間荒野を旅した。新約でイエス・キリストはメシヤとしての公生涯に入る前、荒野で四十日四十夜、サタンの試みに会われた。聖書で四十という数字は審きと救いの試みの時、本当に神様を信じているかが、問われる時であった。
 私にとって「笛吹きたち」の四十年(正確には一~四年と、三十六~四十年の九年間の門下生)は審きと救い、苦しみと喜びの四十年、フルートを本当に愛しているか『試み』の時であったのかも知れない。

19 中田 美穂 
第四十回発表会、おめでとうございます。
回を重ねて四十回、すごいことだと思います。
 ここまできたら是非とも五十周年をお祝いしたいと思います。
 その為に、師匠には元気でいていただかないと・・・
 そこで弟子から
 毎日の生活の中にスクワット十回を一セットして、二~三セット。NHKの「みんなの体操」一回の放送分、これはほんの五分ですが、真面目にやると結構効きます。毎日録画をして取り組まれますよう、お願い申し上げます。
 元気な後期高齢者は決まって「ラジオ体操」をしているようです。

20 北村 健郎
第1回の発表会が浜松町の貿易センタービルのヤマハサロンで開かれて、40年が経過したことになります。当時は、5時頃から始まって8時位で終了したように思います。その後、お弟子さんの数も増え、長い曲を演奏する方も増え、午前中に開始しても、終了は夜になるようになってきました。40年は、長いようですが、あっという間に過ぎたように感じます。40回目の発表会ということで、久し振りに笛を吹くことにしましたが、中々、昔のようには吹けません。やはり、継続しないといけないことをつくづく感じた次第です。

21 塩澤 直緒
「よんじゅうを求めて」

合宿の景品買いで石原先生には最初、整理用品にしようと…
でも今年はよんじゅう周年に合うものを!!

と意気込んでみたものの、何にしようか迷い、ふと先生が「デジカメを新しく買ったけどケースがない」といっていたのを思い出し、ケースとよんじゅうにちなんだものを!

お店を散策してると、何かが40%配合の石鹸が目にはいる…なんか違うんだよなぁ、と思いつつまた
よんじゅう
よん、じゅう
よん じゆう

前から小さい男の子が
「ハロー、ハロー」と言っていたのを聞いて、

ハローかぁ、小さな子でも英語やっているんだなとおもいふと、
よん 自由

自由=自由の女神!!

いやいや。
自由の女神を4つプレゼントしてもなぁ…。

と考えながらぶらぶらと文具店に入ると、よんじゅうと奇跡的な出会いが!!
…かなり大げさですが、はっきり4と10が書かれたフォトアルバムを見つけ、即買い、決定。

先生どうでしたか??
ちなみに、デジカメの大きさとケースの大きさが若干違ったみたいというのはごめんなさい。

22 上野 京子               
この夏生まれて初めてモーツァルトのフルート四重奏(よんじゅうそう)を 弦の方と演奏する機会に恵まれました.バイオリン,ビオラ,チェロと一緒に 演奏したときはなんとも幸せな気持ちになれました.今回の発表会も さんじゅう年ちょっと前のとっても若かった頃に一緒に習っていた徳植さんと アンサンブルを組むことになりました.練習しているときの気分はまだまだ 十代です!

今になって何だか楽しい気分になれる出来事が次から次へと起きています.
きっと細々ながらにもフルートを続けてきた私への音楽の神様からの ご褒美なのでしょう.感謝感謝です!

23 小島 邦雄
第1回の発表会から一時期転勤で地方勤務のため参加できなかった時期を除き、ほとんど参加させてもらっています。一回目の時にはまだ生まれてもいなかった多くの方々と40回目の発表会に出られるなんて夢のようですが自分の進歩のなさには愕然とします。人生の第4コーナーを回りかけ、最近はうまくなることはあきらめ少しでも多く楽しめればと思う今日この頃です。

24 植竹 里奈
今年の発表会は「よんじゅう」に因んで、Mozartのフルート四重奏をしようかなとか、誰かのOp.40の作品を吹こうかなとか、色々考えましたが、予算を40万円程オーバーして購入したピッコロで出陣しようと思います。 因みに共演のピアニストとの平均年齢は40才です☆

25 青島 悦
4という数字は、生活の中でなかなか選択権がないように思います。「4よりは5」、「グレードアップして7」とか考えます。師匠の言葉に「これが最後かも」、「50はないかも」とかありますが、みなさん、この「かも」に騙されてはいけません。師匠の中では5の構想はすっかり出来上がっており、7の構想にまでもう発展している可能性があります。我々は体力・気力を温存し、如何にこれらの数についていけるか、超えられるか。秘密結社よんじゅう 

26 田中 豊
■Richard Strauss(1864-1949) Violin sonata Es-dur op.18 第一楽章より  [約8分]

R.Straussは85年の生涯の最後まで作曲を続けましたが、名作の宝庫である交響詩、オペラ、歌曲に対し室内楽曲は若いときの数曲だけです。この唯一のヴァイオリンソナタも結婚直前の24歳の作ですが彼の個性が明確に表現されており、同年に作曲された「ドンファン」以降の独自の交響詩の世界を切り開いて行きます。自身かなりの名手だったVnパートも技巧的ですがピアノはさらに難曲らしく、一番苦労したのは伴奏者の説得です。

27 成瀬 忠
昨年の発表会で「石の上の上賞」を頂きました。 出来の悪い弟子の見本を公表されたようない思いもあります。外苑ビルのレッスン室に通い始めてOO年、徒に馬齢を重ねたという感が強い。ただ音楽が好き、フルートが好きで止めることができませんでした。

今回もだめな弟子であることを立証することになると思います

28 鈴木 淳彦

29 小川 美沙

30 高倉 直子
入門して2回目の発表会が第30回でした。10年ぶりにその時の録音CDを聞き返してみると緊張して吹いていたメヌエットが聞こえてきました。タイムマシンにでも乗ったみたいな不思議な気持ちになりました。。。
今回は10年経ってどんな音に進化?変化?してるか、確かめるのは怖いけど楽しみでもあります。
ピアノは福岡でお世話になっている憧れのアユ先生、どうぞよろしくお願いします♪

31 中村 和正

32 滝沢 昌之
期せずして自分の年齢と同じ。いろんな事があったが来てみるとあっというま。40年は折り返し地点だろうか。往路で学んだことが、復路で活かせるか。それは自分次第かもしれないし、往路の行いにより、もう決まっていることかもしれない。復路というよりは、また往路を生きて行くつもりで。

33 酒井 秀明
今から40年前私はまだ高校生、その二年後に石原先生が国立音楽大学で教え始めた時、初年度の生徒の一人として学生生活を始めました。
数えてみるとあれからもう38年経ちました。改めて月日の過ぎて行く速さを感じます。
あれから幾度も一緒に演奏する機会を持たせて頂きましたが、一番思い出に残るのはやはり石原先生が指揮をして上演したオペラ「ルル」のオーケストラの中で吹いたことでしょうか。
先生のご健康をこれからもお祈りいたします。

34 近藤 美津江
「よんじゅう」
10年が4回も繰り返されると「よんじゅう」になる。
わたしが生を受けての10年はフルートを知らなかった。
次の10年の終わりに石原先生に出会いました。
3回目と4回目の10年はオーケストラで吹いていました。
それがわたしの「よんじゅう」です。
たくさんの仲間に出会いました。
いまわたしはその仲間とフルートにいかされて
更に2回の10年を重ねました。
あと何回の10年が待っているのかしら。。。

35 重松 冴美

36 井清真弓
40周年おめでとうございます。
40に因み、10年20年前の演奏会プログラムや資料を眺めていると、中から還暦パーティーの時の石原利矩アルバムが出てきました。
先生って‥とってもイケメン♪
思えばいつも優しく接して下さり、先生との思い出は200字以内に書き納められません。
今日は石原先生をはじめ、皆様方に感謝しながら演奏させて頂きます。

37 山口 倚牛
「よんじゅうねん」ですか。私は1977年3月入門だから、34年か。くたびれは徐々に来るのかと思っていたら、ガクンガクンと閾値的に来るのですね。3月の東北大震の頃から、毎日の練習が出来なくなりました。8月からは、笛を出しても、発表会まで一月もないというのに、触らずに見るだけのことが多くなりました。今年は、だから、1958年の最初の発表会でやった(53年前)、JS? Bach?のEs-Durにしました。それでは、また会う日まで。

38 城谷 千保
40周年、おめでとうございます!
いろいろなことが積み重なってできた素晴らしい結果ですね。あらためて師匠にお祝い申し上げます。
私は、受験生から大学とそれほど長期間ではないのですが、毎年送られてくる印刷物のおかげで常に弟子である気分にさせられていたような…?気がします。(^^;;
さてテーマの「よんじゅう」、甘いもの好きな私は、「横棒1.5本足すと【まんじゅう】だな」などと頭をよぎるのはつまらないことばかり。まんじゅうといえばアンコ。実は若い時分はアンコが苦手でした。ところがここ10年くらいわりと好きになり、自分でも買ってみちゃうほど。なるほど時は人を変えます。今日はしばらくお会いしていなかった師匠及び出演者の皆さんをこっそり観察する日になりそうです。

39 田中 豊
■Franz et Karl Doppler Rigoletto fantaisie op.38   [約10分]
娘のジルダをさらわれたリゴレットの嘆きの歌に始まり、女たらしのマントバ公爵が歌う女心の歌、公爵に憧れるジルダの恋心のテーマと変奏。中間部では殺し屋の娘マッダレーナを交えた四重唱をアルペッジョの伴奏にのせて歌い上げます。戯曲原作者のユーゴはこの四重唱を聴いてオペラにしかできないとヴェルディを称えたそうです。ハンガリー生まれのドップラー兄弟は19世紀後半にヨーロッパ中で活躍し、左右に構えた演奏で観客を魅了したとか。

40 葛西 よう子
青山フルートインスティテュート40周年おめでとうございます。私が始めた頃はレッスン室は外苑ビルにありました。週に一度通っていたことを懐かしく思い出します。あれから二十数年、私はアラウンドフォーティとなってしまいました。鏡を覗き込みアラフォーである事をひしひしと感じている今日この頃…。周りの様子も少しずつ変わりはじめています。
仕事に家庭に趣味にそしてフルート演奏に、自分らしさをプラスして四十代の目標を見つめて行きたいと思います。

41 和田 高幸
西洋の姓名判断術ゲマトリアによると、「4」は揺るぎない大地にたとえられる。シ ンボルでいえば四辺形(矩形)である。石原先生のおなまえに含まれる「矩」は、人 を育てる大地となり、やがて音楽界で確固たる位置を占めるに至った。AFI40周年、 おめでとうございます。(占師を副業とする不肖の弟子、難波双六こと和田高幸)

42 桂川 達郎 あじさいの会のメンバー

43 田頭 ゆかり
どうせなら良い先生につけば、と、ウチの夫は銀座のヤマハにあったココのフルート 教室の広告を私に示した。

千葉市緑区在住の、ウチの子供のピアノの先生は、石原先生と同じ大学卒業、同じ学 年の人だった。『ピアノ伴奏したことあるわよ』

ウチの夫のアマチュア無線仲間のスタジオミュージシャンは、石原先生と同時期に同 じ先生にフルートを教わっていた。『石原さん?知ってるよ』

私が青山フルートインスティテュートにいるのは、偶然ではなく、運命!?

去年ハマった龍馬伝の坂本龍馬が、私の頭の中で叫ぶ。
『何かがおまん(お前)を゛よんじゅう゛がじゃ(呼んでいるのだ)!』

今年の発表会は銀座のヤマハが会場だし…

だが、ピアノの先生もスタジオミュージシャンも影が薄かったのか、はたまた、石原 先生が超有名人だったのか、石原先生曰く
『…今度、写真、持ってきてみて』

まあ、私の運命、こんなもの。
運にまかせて出来が悪すぎ『先生がよんじゅう』にならないようにしなくちゃね!

44 小野 宏子 
同じことを40年続けるということはどういうことだろうか、と考えてみました。
「人生」すら40年続けたことのない私には到底正答が得られるはずもありませんでしたが、大きな信念と愛情がなければ続けることは難しいのだろうと思いました。
40年前、石原先生が信念を持って教室を立ち上げたから、皆がここに集まり、愛情を持って私たちに接して下さったから、皆がこうして今日も諦めずにフルートを構えています。
発表会の出演者を募る文章に、「周年行事はこれが最後かもしれません」と書かれた師匠。どうしてですかと聞くと、ニヤリと笑って「そうすればたくさんの人が出演してくれるかと思って」とおっしゃられました。
みなさん、かわいい師匠にもう少しだまされてあげましょう。
「ああ!大変!これで師匠の発表会に出るのは最後かも!!」と言って毎年参加しましょうね。
私は「ごじゅう」のテーマも「ろくじゅう」のテーマも副読本を書くつもりで原稿を準備しておきますので、先生、頑張ってくださいね。
40周年、おめでとうございます。

当日の副読本文学賞受賞文
45 徳植 俊之
初めて外苑ビルのレッスン室に行った時は、どんよりとした曇り空だった。まだ中学一年生だったボクは、母と一緒に、灰色の古びたビルの入り口でまだ見ぬ師匠を待っていた。地下鉄の階段を駆け上がってくる石原先生はトレンチコートを着ていた。ボクが初めて出会った大人だった。
それからボクは、大きなト音記号の付いた布のバッグにフルートとアルテの1巻を入れて、月に3回通い始めた。その頃はヤマハの洋銀の楽器だった。
やがて、高校生になり、楽器はムラマツの純銀のスタンダード。レッスンの後の紅茶のしぶさが少しずつわかりはじめた。
大学生になり、文学を専門に学び始めた。でも、ことばより音楽の方が、はるかに自分の気持ちをうまく表現できた。ラブレターは五線譜に書くものだと思う。それは今でも同じ。その頃かな、自分は天才じゃないかと思った。それは今では違う……。
さあて、久しぶりに楽器を出して、フルートを吹いてみよう。どんな音がするか。どんなメロディーが奏でられるか。今のボクは、初めて会った師匠よりはるかに年をとっている。ボクは大人になったのだろうか?

今日の演奏は、誰のために吹こうかな。僕の思いはどこへ向かって行くのかな。それはナイショ。まずは、楽器をケースから出して、ほこりを払って。さあ、思いっきり息を吸って……。

46 久慈 弥重子

47 米嶋 光敏
現在、37歳。あと3年で40歳という大台に届く。本当に人生はぼやぼやしていると、あっという間に過ぎていく。
フルートを始めたのが10歳なので、途中で間は空いているものの私が40歳の時にはフルート歴は30年。
そして大学を卒業してからフルートを再開するために、青山に通い始めたのは、29歳の時。
青山に通い始めた頃は、ただフルートが吹く機会があれば良いくらいという軽い気持ちで再開した。
それが今では、取り組みたい曲がたくさんあり、もっとフルートを上手くなりたいくらいに意識も変化してきた。
これも師匠とフルートの腕のみならず、様々なキャラクターでダイバシティーの効いている笛吹たちのおかげです。
青山フルートインスティテュートの50周年に向けて、次の私の10年も良きフルート人生を歩めるように励みたい。

48 木村 真諭紀
 第3回目が初めての発表会で、先輩とデュエットをやり、ステージから下がる時に 左右に分かれて降り、笑われたことを思い出します。あれからずっと続けてこられた なんてすごいなあと思います。たくさんのいい演奏を聞かせてもらい、すばらしい人 たちにめぐり合ってきました。何といっても一番感心するのは石原先生です。レッス ンだけではなく、編曲から、オペラの上演までやってしまうのですから。「フルー ティストじゃなかったら数学のノーベル賞をねらっていましたね(フィールズ賞とい わないところが愉快)。」・・・と、かなり昔に笑いながらおっしゃっていましたっ け。孤独な数学者ではなく、青山フルートインスティテュートの師匠でよかった・・ ・と自分のために思っています。40周年、おめでとうございます。