笛吹きたち会員

第39回青山フルートインスティテュート発表会


テーマ「のぞむ」

「笛吹きたち」39号文学賞

第1席、小野宏子さん、第2席は同点で安増恵子さんと中村和正様が授与されました。

「石の上」賞

鮎澤理恵さんが授与されました。

新設「石の上の上賞」

40年勤続賞
成瀬忠さんが授与されました


第1席
笛吹きたち三十九号文学賞 第一席 小野 宏子様
「デンマーク留学記」
貴女の「デンマーク留学記」は第一席に輝きました。
「初心を貫く」と言うことは一般にあこがれの言葉として用いられます。世の中の多くの人は歳をとってから初心を貫けなかったことを悔やみます。
 今までの看護師を捨てて音楽の世界に身を投じようと決意し、それを実行に移し、成果をあげて帰国し、福島で凱旋公演をするまでに至った貴女の行動力は立派でした。ここまでできたことはトーケ先生を初め、周りの人たちの応援によることも多かったと思われますが、一番の原因は貴女の音楽に対する真摯な心が大勢の人に伝わったからだと思います。
 デンマークでの留学中の体験談を二十ページに収めるには言い尽くせないことがいっぱいあったことでしょう。留学は若いときほどその人の一生を左右するものです。貴女の留学の経験がこれからの貴女の良き道しるべとなることでしょう。
これから就活でフルートの研鑽、婚活で念入りなお化粧と人生厳しいですが、貴女の将来がバラ色に輝くことを祈っています。
  よってここに賞します。 二〇一〇年十二月四日
笛吹きたちの会
師匠こと 石原 利矩

第2席
笛吹きたち三十九号文学賞 第二席(同位二名)
安増 恵子様
「おいら、ふうたろう」及び「私のシベリウス」
貴女の二つの文章が第二席に輝きました。「笛吹きたち」史上二つの文章で入賞した人は初めてです。というのは投票の際に題名ではなく著者名で投票される方が殆どだからです。
 「安増さんてどんな人」と言うのが笛吹きたちの会員が疑問に思っていることです。レッスンで会ったこともないし、発表会には出ないし---仕方ありません。青山のレッスン室に来たのは数えるほどもないのですから。何故なら福岡(現在・久留米)の講習会のお弟子さんだからです。青山に来たとき入会してそれ以来時々「笛吹きたち」に投稿するいわば幽霊会員です。会費滞納者の筆頭です。しかし、文学賞を貰った以上はもう滞納を打ちきりにしないといけません。
 多彩な才能に恵まれた貴女は文章においても、動物愛護においても群を抜いています。俳句を毎日ホームページにアップしていた時もあるくらいです。発表会を取りやめて愛馬の看病に行くというくらいです。「フルートにおいても群を抜いている」と言える日はいつになるでしょうか。
 ごちゃごちゃ言わずに今回は文学賞おめでとうございました。
  よってここに賞します。二〇一〇年十二月四日
笛吹きたちの会
師匠こと 石原 利矩

第2席
笛吹きたち三十九号文学賞 第二席(同位二名)
中村 和正様
「誰でもできる!文学賞のとり方」
中村君の「誰でもできる!文学賞のとり方」は第二席に輝きました。
良かったね。中村君。文学賞がとれて。これで読者は原稿を出す前にもう一度読み直してくれると思います。確かに中村君は文学賞受賞の常連です。すでに小学校の時に表彰されたくらいですから。実績のある人の言葉は重いですね。
 近頃、中村君は神秘の人と目されています。「お歳はいくつでしょう?」と新人のお弟子さんが私に訊ねました。黒縁めがねでちょっとだんまりで怖そうに見えるらしいのです。時たま見せる笑顔はめったやたらに遭遇できません。でもそんな印象は文章を読むと吹き飛んでしまいます。外見から想像する文章の意外性のみならず、文章で読者を惹きつける力を持っているからです。毎回、今度はどんなこと書くかなと期待させてくれます。
「誰でもできる!文学賞のとり方」の中にクイズがありました。この答えを発表会の副読本に書くところなどなかなか凝り性です。
 これからは文章と同様、そのエスプリ、ウイットが外見に現れると女の子からモテモテの中村君になることを請け負います。いずれ「誰でもできる!モテモテのし方」が投稿されるかも。
  よってここに賞します。 二〇一〇年十二月四日
笛吹きたちの会

石の上賞
石の上賞

鮎澤 理恵様

二十年かけてやっと「石の上賞」に到達しました。
あなたが外苑ビルのレッスン室の門を叩いたのは平成二年十二月のことです。その時は高校一年生の春日理恵さんでした。二十年の間には音大受験、音大生活、卒業されてからご結婚、ご出産、育児(しかも二児の母)と目まぐるしい時間を過ごされたにもかかわらず、フルートはいつもあなたのそばにありました。大学卒業後は長野の伊那に戻られ、レッスンには東京までバスや電車で通われました。ややもするとくじけそうになる青山通いでしたが、なんとしても「石の上賞」は貰わねばという心の支えでよくがんばりました。
 話は変わりますが、今年入門されたお弟子さんたちに「先生、あと十年は生きていてください。そうしないと私たちは石の上賞を貰えません」と言われました。今や私が「石の上賞」をあげるためにがんばらなければならなくなりました。
もしかしたら理恵さんは二十年の「意地の上賞」を貰えるかもね。フルートのテクニックも磨きのかかってきた理恵さん。これからも音楽の境地をますます深められることを期待しています。

よってここに賞します。

平成二十二年十二月四日
師匠こと 石原 利矩
笛吹たちの会一同


石の上の上賞

石の上の上賞

成瀬 忠様

青山フルート・インスティテュート史上、初めての四十年勤続の表彰です。これを壮挙と言わずになんと呼ぶべきでしょうか。
 十年勤続を「石の上賞」、二十年を「意地の上賞」、三十年を「いきの上賞」となっていることは皆様ご存知です。この度、四十年目の賞の命名をどうするかが問題となりました。そこで貴方と相談致しました。貴方の得意とする囲碁には「石の下」という手があり、これは囲碁用語の一つで意図的に相手に石を取らせてその空いた交点から攻めることだそうです。死んだと見せかけて復活するのだから貴方はご自分の状況に相応しいと「石の下賞」を推奨されました。  
これを聞いた何人かのお弟子さんは「石の下」は縁起が悪いと言って反対されました。確かに石の下というとお墓が連想されます。そこで「石の上の上賞」と命名することにしました。もしも五十年勤続が生まれた場合にはイッシモがイシッシモに変化するように「石の上の上の上賞」とすれば問題はなくなります。  
貴方は永年、誰にも出せない美しい成瀬トーンで周りを魅了し、アウフタクトや裏拍の脅威に曝されながらもリズムとの戦いの四十年をつつがなく過ごすことができました。明日からの入院を控えご不安でしょうが、手術が成功され無事に復帰され、再び美しい音を聞かせてくださることを祈っています。  
よってここに賞します。
平成二十二年十二月四日
師匠こと 石原 利矩
笛吹たちの会一同