閑話休題 その8
コピペ(コピー&ペスト) 石原 利矩
インターネットが現代の情報を伝える手段となって久しい。そして益々その隆盛を極めている。今やコピペが大学生のレポートに蔓延していることが問題となっている。自ら思考し自分の言葉で表現をすることを怠る若者の風潮を危惧する人は多い。 音大の学生は昔からコピペが得意だ。コピー元はCDでペーストは自分の演奏ということになる。私は以前から知られざる曲を発掘することに情熱をかけている。誰も演奏していない曲を見つけて良い曲だと思うと課題として生徒に与えることがある。そんな場合、生徒から「この曲はCDに吹き込まれていますか?」という質問が帰ってくる。楽譜からイメージを湧かすことが苦手なのだ。ある時、レッスンで与えた課題曲で予期しない演奏をした生徒に注意をしたら「CDではそう演奏しています」ときた。私はその時自分の役目は一体なんだろうと自問せざるを得なかった。 私は楽譜を集めることが趣味である。特に絶版譜には目がない。今は故人のデンマークのダン・フォウ氏は古楽譜の権威だった。彼はクーラウの作品目録を編纂した人でクーラウ研究には多大の貢献をしている。「クーラウ詣り」のときはいつも彼の経営しているコペンハーゲンの古本屋に立ち寄り古楽譜の情報を得ていた。ある時、彼の自宅に招待されたことがある。一階から地階にかけて本棚がずらりと並びその中に古楽譜が所狭しと置かれていた。これを見た私は過去にいかに多くの人々が楽譜出版にエネルギーを注いでいたかを、そしていかに多くの楽譜が絶版になったかを知った。楽譜には長い歴史と多くの情報が含まれている。 コピペにおけるコピー元の最初の制作者は深い思索から生み出したものに違いない。コピーする者はそんなことはお構いなくまるで自分の考えかのようにペーストする。CDを聴いてその真似をする音大生とあまり変わらない。 |