閑話休題 その4
デジタル派:アナログ派 石原 利矩
世の中には二種類のタイプの人間がいます。1つはデジタル人間と、もう1つはこれからデジタル人間になる人です。
こんなことを言うとアナログの世界を信奉している人には「ばかばかしい」と思われることでしょう。しかし、そうとは思えないような現代社会です。これはパソコンの世界で言われる「パソコンをする人には二種類のタイプがあります。1つは今までにデータを失った人、もう1つはこれからデータを失う人です。」をもじったものです。
私の周りにはパソコンを毛嫌いしている人、興味はあるけれど操作が出来ないから敬遠している人、パソコンは出来るけれどそれ以上の何ものでもない人、パソコン無くしては生活が出来ない人など様々なタイプがいます。この人がと思う人が全く別の世界にいるなんてことはしょっちゅう遭遇することです。これは外見上では全く判断ができません。面と向かって話していても分かりにくいことです。
それではデジタル派とアナログ派にどこで分かれるのでしょうか?
人間には生まれつきどちらかのタイプの特性が備わっているとは思えません。いつでも変わりうるものなのです。どちらにでもなりうるのです。あなたがデジタル派ならばたまたまそういう環境で育っただけなのです。あなたがアナログ派だとしたらこれまたそういう環境のせいだったのです。
私はこれは運命論的なものと思っています。
それは環境によって大いに左右されることなのです。環境とは生まれた年代、その人の家庭環境、社会環境などです。知人との交友関係も左右することがあります。もしも、今あなたが一般大学生ならばパソコンが出来なければ非常に困ることになります。宿題の提出、論文などはパソコン上で行われるのが一般的です。企業でも今やパソコンを使うことは常識となっています。
今、アナログ派を主張する人はそのような環境に居なかった人が殆どです。たとえ企業に居たとしても部下が全部してしまうので自らやる必要の無かった年配の管理職の人などにはパソコンが扱えない人がいます。あるいはパソコンができたとしてもデジタルの必要性が無い人に多く見られます。
世の中を見渡せばコンピューター管理されている事柄と毎日接しています。車に乗っても今や部品はコンピューターに支配されています。電車に乗ってもsuicaやpasmoのお世話になっています。銀行に行ってもすべてコンピューターで管理されています。
芸術の世界でもパソコンが浸透しています。例えば音楽の世界はどうでしょうか?現在、パソコンで音楽をする人が増えています。それだけハードもソフトも進化しています。パソコンでhuman playというアナログに近い演奏をするものもあります。しかし、まだ生の音楽を凌ぐ演奏はできていません。これはまだまだ時間がかかるでしょう。もしかしたらどんなに科学技術が進んでもアナログの世界には到達できないものかもしれません。そのため、今でも音楽家を目指す人が後を絶たないのです。
人間が人間としての尊厳を守れるところ、それはパソコンが到達できない「精神世界」にあるものと考えます。しかし、コンピューターの進歩も目覚ましいものがあります。心の働きを解析することはいずれは可能になるかも知れません。現代に生きるものはこれに目をつぶっているわけにもいきません。
デジタル人間はアナログ人間を否定してはいけません。同様にアナログ人間はデジタル人間を否定できないのです。何故ならあなたはデジタルに徹底しているわけでもないし、アナログに徹底しているわけでもないのですから。
「デジタルを容認してアナログの世界で遊ぶ」 そんな心持ちでいれば今を上手に生きていけるかも・・・